2026年5月、日本のコンビニエンスストアやスーパーマーケットの棚に、かつてない異変が起きました。
大手スナック菓子メーカーのカルビーが、ポテトチップスやかっぱえびせんなどの主力商品14品のパッケージを、従来のカラフルなデザインから「2色印刷(白黒)」へと順次切り替えると発表したのです。
この衝撃的なニュースは、単なるデザイン変更ではありません。日本経済の土台を支える化学原料「ナフサ(粗製ガソリン)」の供給危機、いわゆる「ナフサショック」を象徴する出来事でした。
なぜパッケージから色を消すことが、ナフサ不足への有効な対策となるのでしょうか。
その裏側には、印刷インキの化学、日本の産業構造が抱える課題、そしてサプライチェーン崩壊を防ごうとする企業の経営判断が隠されています。
本記事では、このナフサショックが食品包装業界に与える影響と、白黒パッケージへの転換が持つ意味について解説します。

まず、今回の問題の発端である「ナフサ」とは何かを理解する必要があります。
ナフサは原油を精製する過程で取り出される透明な液体で、ガソリンに近い性質を持ちます。しかし、ガソリンのように燃料として利用されるのではなく、主に石油化学製品を製造するための原料として使用されています。
プラスチック、ビニール、合成繊維、合成ゴム、接着剤、塗料、洗剤、そして印刷インキに至るまで、私たちの身の回りにある多くの製品がナフサを出発点として作られています。
食品業界も例外ではありません。
例えば、
* ポテトチップスなどの包装フィルム
* レトルト食品のパウチ
* 弁当容器やトレー
* 商品ラベル
* ストレッチフィルム
* 食品工場で使用される樹脂部品
など、多くの資材がナフサ由来の原料によって支えられています。
そのためナフサ不足は、石油化学メーカーだけでなく、食品メーカーや包装資材メーカー、物流事業者にまで広く影響を与える問題なのです。
その重要性から、ナフサは「石油化学の米」とも呼ばれています。
2026年春、このナフサの供給が突如として大きな影響を受ける事態となりました。
中東情勢の緊迫化により、世界の原油輸送の要衝であるホルムズ海峡の航行に大きな支障が発生したのです。
ホルムズ海峡は世界の海上輸送原油の約2割が通過するとされる重要な海峡であり、日本が輸入する原油やナフサにとっても極めて重要なルートです。
日本はナフサ輸入量の約74%を中東地域に依存しているため、この影響を直接受けることになりました。
(関連記事:私たちの食卓を支える「ナフサ」とは? プラスチック容器の原料から背景まで)
問題をさらに深刻化させたのが、日本の備蓄制度です。
原油には国家備蓄制度がありますが、ナフサについてはかつて存在した備蓄義務が1993年に撤廃されており、現在は民間在庫に依存する形となっています。
(参考:ナフサ不足の真相と1993年備蓄義務撤廃の誤算 ) そのため民間企業の在庫は数週間分程度しかなく、化学産業全体が大きな供給不安に直面することになったのです。
原油価格の高騰は比較的ニュースになりますが、ナフサ不足は一般消費者から見えにくい場所で進行します。しかし実際には、包装資材や工業製品の供給に直結するため、日本の製造業全体へ大きな影響を与える問題と言えます。

印刷インキが不足しているのであれば、「色数を減らすだけで本当に効果があるのか」と疑問に思う方もいるかもしれません。
しかし、白黒化には明確な理由があります。
印刷インキは主に、
* 顔料(色を付ける材料)
* 樹脂(印刷面に定着させる材料)
* 有機溶剤(流動性を持たせる材料)
によって構成されています。
普段は意識することがありませんが、食品パッケージに使用されるインキには高い発色性や耐久性、印刷適性が求められるため、多くの化学原料が使われています。
今回注目されたのは、顔料ごとの原料の違いです。
黒色顔料として使用されるカーボンブラックは、石油や天然ガスの燃焼によって得られる炭素粒子が主成分です。
一方、白色顔料として使用される二酸化チタンは鉱物由来です。
これに対して赤・黄・青などの鮮やかな色彩を表現する有機顔料の多くは、ナフサ由来の化学原料を出発点として製造されています。
つまり、白黒印刷に切り替えることで、最も供給不足が深刻なカラー顔料の使用量削減につながるのです。
一般的な食品パッケージでは、単純に「赤色を印刷する」だけではありません。
実際には、
* シアン(青)
* マゼンタ(赤)
* イエロー(黄)
* ブラック(黒)
といった基本色を重ね合わせることで、多彩な色を表現しています。
さらに白インキや特色インキを加えることで、商品の魅力を引き出す鮮やかなデザインを実現しています。
つまり色数が増えるほど、
* 顔料
* 樹脂
* 溶剤
* 印刷工程
* 乾燥工程
が増加することになります。
白黒化は単なるデザイン変更ではなく、資材使用量そのものを削減する手段でもあるのです。
インキを液体にするために必要なトルエンや酢酸エチルなどの有機溶剤も、ナフサ由来です。
現在は塗料メーカーや接着剤メーカーとの間で激しい争奪戦となっており、供給不足が深刻化しています。
色数を減らすことで使用するインキ量そのものを削減できるため、溶剤の消費量も抑えられます。

今回の問題を通じて浮き彫りになったのが、日本の包装業界が抱える構造的な課題です。
日本では長年にわたり、食品包装の主力印刷方式としてグラビア印刷が採用されてきました。
その理由は品質の高さにあります。
例えば、
* ポテトチップスのシズル感のある写真
* 飲料パッケージの鮮やかな色彩
* 冷凍食品のリアルな商品画像
などは、グラビア印刷の高い再現性によって実現されています。
また、大量生産との相性が良く、印刷品質のばらつきが少ないことも大きなメリットです。
そのため日本の食品メーカーは長年にわたりグラビア印刷を中心に発展してきました。
しかし今回のナフサショックによって、
「高品質であること」と「供給リスクに強いこと」は必ずしも同じではないことが明らかになりました。
欧米ではフレキソ印刷への転換が進んでいます。
フレキソ印刷は水性インキを使用できるため、有機溶剤への依存度を大幅に下げることができます。
北米や欧州では包装印刷におけるフレキソ印刷の採用が広く進んでおり、60〜70%程度を占めるとされています。一方、日本では軟包装分野での採用率は数%程度にとどまっており、依然としてグラビア印刷が主流です。
(参考:The global status of Flexographic packaging | Business | 株式会社渡辺護三堂 ) つまり今回の問題は、単なる原料不足ではなく、日本の包装産業が長年築いてきた生産体制そのものが問われる出来事でもあるのです。
出典:カルビー株式会社「一部商品のパッケージ仕様変更のお知らせ」 カルビーによる白黒パッケージ化は、ブランド価値を犠牲にしてでも供給を維持するという強い意思決定でした。
食品メーカーにとってパッケージは単なる袋ではありません。商品の顔であり、ブランドイメージを形成する重要な要素です。
しかし、どれだけ魅力的なデザインであっても、資材が不足して商品を出荷できなければ意味がありません。
食品工場では、
* 原材料がある
* 製造設備が動く
* 従業員もいる
という状態でも、包装資材がなければ商品として出荷することができません。
さらに包装資材不足が長期化すれば、
* 生産調整
* 売上減少
* 印刷会社への発注減少
* 資材メーカーへの影響
といった形でサプライチェーン全体へ波及します。
今回の白黒パッケージ化は、こうした事態を未然に防ぐための「供給維持策」としての意味合いが強いと言えるでしょう。
ナフサ不足の影響は食品業界だけにとどまりません。
ナフサは「石油化学の米」と呼ばれるほど多くの産業の基礎原料となっているため、一つの供給網が滞るだけでも幅広い業界へ影響が波及します。
今回のナフサショックでは、食品包装以外の分野でも資材不足や価格高騰が発生しており、日本のサプライチェーン全体に緊張が走っています。
書籍や雑誌の製造には、本の背を固定するための合成接着剤が欠かせません。
この接着剤の多くはナフサ由来の化学製品であり、原料不足の影響を受けやすい分野の一つです。
その結果、印刷そのものは完了していても製本工程で作業が止まり、納期の長期化や発行スケジュールの見直しが発生しています。
物流業界も深刻な影響を受けています。
荷崩れ防止に使用されるストレッチフィルムや、荷物をまとめるPPバンド、梱包テープなどの多くがナフサ由来です。
これらは物流現場では消耗品として大量に使用されるため、価格上昇がそのまま物流コストの増加につながります。
物流は食品供給を支える重要なインフラであるため、包装資材不足は単なるコスト問題ではなく、商品供給そのものに影響を与えるリスクとなっています。

企業は白黒化以外にも、限られた資材を有効活用するためのさまざまな工夫を進めています。
単に「使用量を減らす」という発想だけでなく、「そもそもインキを使わない」「代替素材を活用する」といった取り組みも広がっています。
ポテトチップスなどのスナック菓子の袋には、アルミ蒸着フィルムが使用されることが一般的です。
このフィルムは元々銀色をしており、高い遮光性や酸化防止性能を持っています。
通常は商品の写真やロゴを鮮やかに見せるために、その上から白インキを全面的に印刷し、そのさらに上にカラー印刷を施します。
しかし現在は、この銀色の素材そのものをデザインとして活用する動きが広がっています。
白インキを使用しなければ、その分だけ原料消費を削減できるためです。
一見すると地味な変更に見えますが、大量生産される食品包装では大きな節約効果につながります。
一部メーカーでは、パッケージの透明部分を増やす取り組みも進めています。
従来は商品のイメージ写真を鮮やかに見せるために背景を白インキで全面印刷していました。
しかし透明フィルムを活かしたデザインへ変更することで、背景印刷に使用していた大量のインキを削減できます。
また、消費者が中身を直接確認できるため、商品の安心感や信頼感につながるという副次的なメリットもあります。
さらに注目されているのが、無地フィルムにラベルを貼る方式です。
従来は袋全体にデザインを印刷していましたが、この方式ではフィルムへの印刷工程をなくし、必要な情報だけをラベルで表示します。
ラベル印刷にはオフセット印刷やデジタル印刷など別方式を活用できるため、グラビア印刷への依存を減らすことができます。
また、小ロット生産やデザイン変更への対応がしやすいという利点もあります。
資材節約の対象はパッケージ本体だけではありません。
例えば乾麺を束ねるテープや、箱を封緘するテープ、販促用の帯紙などにも印刷が施されている場合があります。
こうした副資材を無地化したり、印刷そのものを省略したりすることで、インキや溶剤の使用量を削減できます。
一つひとつの削減量は小さく見えても、大量生産される商品では積み重ねによる効果は決して小さくありません。
(関連記事:ナフサ依存からの脱却と「使い捨て」から「循環」の食品包装へ)
コンビニの棚に並ぶ白黒のポテトチップスは、一見すると単なる応急処置やコスト削減策に見えるかもしれません。
しかしその背景には、日本のエネルギー安全保障や産業構造の課題、そしてグローバルサプライチェーンへの過度な依存という問題が存在しています。
今回の出来事は、私たちが当たり前だと思っていた食品包装が、実は多くの化学原料やエネルギーによって支えられていたことを改めて浮き彫りにしました。
白黒パッケージへの転換は、単なるデザイン変更ではなく、供給網を維持するための「生存戦略」と言えるでしょう。
最も大きな目的は、供給が逼迫しているナフサ由来原料への依存を減らすことです。
白色や黒色など比較的調達しやすい材料を優先的に活用することで、限られた資源を有効活用できます。
また、今回の危機を契機として、水性インキや代替素材の導入を検討する企業も増えると考えられます。
限られた溶剤やエネルギーを、代替手段の少ない工程へ優先的に配分することも重要な目的です。
商品デザインに使用するインキを削減できれば、その分の資源を接着剤や医療用途、産業用途など社会的に重要な分野へ回すことができます。
資源が潤沢に存在する平時には意識されにくい考え方ですが、供給危機下では極めて重要な判断となります。
企業が最も避けたいのは、「商品はあるのに出荷できない」という状況です。
そのため各社はデザインやブランドイメージの一部を犠牲にしてでも、生産ラインを維持し、物流を止めないことを優先しています。
白黒パッケージは、単なる節約策ではなく、サプライチェーン全体を守るための選択でもあるのです。
「食べ物はあるのに、袋がない。」
この言葉は、現代社会がどれほど複雑な供給網によって支えられているかを象徴しています。
白黒のポテトチップスは、単なる話題性のあるニュースではありません。
それは日本の産業が抱える構造的な課題と、限られた資源の中で供給を維持しようとする企業の努力を映し出す象徴的な出来事と言えるでしょう。
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